昨日は色々な人間が来てくれてカウンターを囲み呑んだ。
新井のギャグに鎌倉君が適当な相槌。
客が聴きたいレコード持参し、それを肴にひたすら呑む。
これぞ大衆酒場と感じた瞬間であった。
鎌倉君にも、現代音楽、ノイズについて質問した。
またしても、よくわからなかった。
やはり哲学を音で表現するとか、これまでの常識を打ち壊すとか、新たなアイデア、という事で良いのだろうか。
これらの音楽は、ジョンケージを筆頭に今となっては世間で大分認知され、愛聴者も少なくないでしょう。
私も、常識を打ち壊すという事に関しては共感出来るので、良さを知りたいという欲求に駆られ何度か挑んできた訳だが、私とは相入れない世界なのかもしれません。
常識を打ち壊す行為自体は面白いと思うが、その先に何かしらの美を私が見出せなければ身体が欲さない。
行為だけに共感は出来ず、実際どんな音が鳴っているのかが私にとっては重要である。
ただの破壊である、と私が感じる事に対し、興味を持つ事は難しい。
いや、ビルの破壊現場などに関しては意外と興味深く見てしまうかもしれない。
話が逸れたが、音楽的な感受性が豊かではないと言われてしまえばそれまでかもしれないが、残念ながら、もうこの案件に関しては来世への持ち越しが9,9割決定致しました。
だが、人が懸命に何かをやる様は、如何なる事であれ惹きつけられる部分がございますので、死力を尽くし音の破壊をしている様を見るだけなら、3年に一回くらいは見れそうな気がする。
因みに私が好きなのは、土着的且つ儀式的というか、どっかの民族により、私が生贄にされてしまいそうな感覚に陥る恐ろしい音です。
あとは、無駄に大自然を彷彿させ、なんつーかアンデスの山路とか、湿地帯、森、オリエンタルか?よう分からんがそんな感じ。
曲も大事だが、音の出し方、でござる。