私は両親が性交渉をしたから産まれただけです。
自分の意思で産まれてきた訳ではない。
ですから、使命感の類は何もない。
だが、奇跡的に音楽が好きになり、いや、もしかしたら親が音楽を奏でていたから洗脳されただけ、蛙の子は蛙みたいなもんかもしれませんが、とりあえず音楽が好きである。
ジジイになると歯の有り難みだけで清々しく生きていけるかもしれない。
私は貧困を極めた時期があり、今は、そこそこやりたい事をやりながら飯を食えているという事に幸せを感じている。
しかも、地元にいた頃では考えられない程に、相性の合う人と酒を呑める機会が増え、中々楽しい人生を歩めているような気がしている。
これは、過去にツマンネー事があったから、相殺作用による感覚かもしれないが、とりあえず楽しめている。
生死を彷徨うくらいの経験が無い奴に限って人生に失望したり、愚痴をこぼしている様に思われる。
私も、今は中々満たされている事で暴言を吐けている、要は贅沢である。
やりたいことを諦め、やりたくない事に従事している人間に限って騒ぐ。
やりたい事が無いんじゃなく諦めただけ、もしくは蛙の子は蛙に劣等感を覚え反発、性に反発し生きているだけの話。
自分の意思で産まれてきた訳ではないから、何かに没頭したり好きになる感情は錯覚であると私は思う。
私の今の状態は割と冷静、我にかえっており、再び錯覚する能力、再び錯覚出来る環境作りが重要な気がしている。
だからギターを習ったり曲を書いて高揚感、錯覚を掴みかけたりと、そんな事を繰り返している。
挫折を味わった年寄りは勿論、頭が良過ぎる事が仇となり、若くして我にかえっている奴もいるよ。
しかもそういう若きリアリストは親のスネをかじりながら飯を食っていたりして、ある程度満たされているから、錯覚に至っては盲点になりがちである。
頭で考える前に、片っ端から扉を叩いて経験を積み重ねる、諦めた事にチャレンジする、性に従ってみる、それしか冷静から抜け出る事は無理だし、錯覚に陥る事も出来ない。
やりたい事があるってのは錯覚であるが、素晴らしい事と思う。