2013年9月30日月曜日

ものすごくザックリな表現で申し訳ないが、全く異なる価値観を持った人間と対峙した際、嫌悪感や苦手意識を抱いてしまう輩が多い。
俺は、こういう人間が嫌いなだけだ。
個人の尊重などという言葉は意外と口だけで、同じ穴の狢でしかない印象です。
分かりやすく極論で例えますが、俺は喋るという行為(暗黙の了解に則ったトーク)がそんなに好きではないのだが、喋るのが基盤である人間からしたら、私に対し苦手意識や嫌悪感を抱く傾向にあるように思われる。
だが、そんな私でも、喋るのが基盤且つもはや当然と認識している真逆の人間に対し嫌悪感を抱いたりはしない。
こいつは俺と違ってお喋りが好きなんだな、と尊重はするし、認識する事がスタートラインであると私は思う。
この違いは、はっきり言って差別他ならぬ。
私が感じる事、あなたが感じる事、要するに価値観が異なるものと対峙した事に、考え方、対処のベクトルが異なっている。
ちなみに、シュバンクマイエルは、食事という行為が下品で嫌いらしいが、食わないと死ぬから仕方なく食っているらしい。
そんなシュバンクマイエルに対し、嫌悪感や苦手意識、キモいだの、を抱く輩は絶対に多いと思われる。
俺は、それは大変だね、くらいにしか思わないし、茶化す訳じゃなく、どう下品に感じるのか興味がわく。
こういった人間を多少なりとも障害者と感じてしまう人間てのは、自分を健常者と思い込んでいる自意識過剰な思想だ。
色々な人間がいて、よくわからない常識枠(僕からしたら洗脳)に当て嵌まらないとちょっとした変人、障害者扱い、これは酷いでしょ。
ちなみに私があまり喋らないのは、結局物事は表裏一体だと思っており、喋り終えると真逆の思考が働き、先程の自分の発言と相殺され、虚無に襲われる場合が多々あり、それが嫌いなのです。