譜面に慣れたくないので、今も耳と身体で演奏するように心掛けている。
ファミコンで鍛えあげた瞬間判断力も通用せず、こんな作業を幾度となく繰り返していると、景色がグルングルン回って死に向かっている様な感覚に陥ります。
演奏途中で、何故俺はこんな事をしているのかと我に返る時もあります。
死と隣り合わせではあるが、偏屈な曲を片っ端からやってみる修行は、私がドMだからか分からんが、悲しきかなやり甲斐がございます。
変態曲、複雑な進行の曲をやりこんでいくと、ちょっとしたトランス状態に陥り、よくわからんが、目が回っちまいます。
それにより、新しい何かが見える瞬間が少なめですが確かにあって、面白いです。
俺にとって修行は一種のドラッグみたいなもんです。
瞬間作曲力、構築力、そんなんを研ぎ澄ますには、常日頃から神経擦り減らし音の分析や組み立てを繰り返す、細胞をフルに動かして弾き倒す、そしてそれに慣れる、しか方法は無い。
やはり、非日常感を自力で手に入れる作業は重く険しく苦しいのであります。
昔自分が出した音に興味が薄れていく私だが、理由は、免疫がついて、その音(ドラッグ)では満足感が得にくくなってしまう、という事なんでしょう。
少々苦痛も伴うが、常に目が回ってるくらいが、ちょうどいいのかもしれない。
明日はライブです。